就職から3ヶ月を経ての雑感
就職してもうすぐ3カ月が経とうとしているということで、これまでの感想を書いてみたいと思います。
人間の慣れは凄く恐ろしい
ぼくは正直大学時代に熱心に授業に出ていたタイプではなく、好きなだけ眠り、気が向いたときにご飯を食べに外にモソっと出かけ、気ままに家で映画みたりゲームしたり、たまに街の喫茶店で読書したりして、好きなときに寝る…そんな生活をここ数年間ずっとしてきました。
なので就職する際に最も信じられなかったのが「そんな自分が決まった時間に起きて決まった時間に会社に行き、決まった時間に寝る生活を週5日ずっと続けていくこと」でした。信じられなかった、と書いたのは、これまで何だかんだで求められればそれに合わすことが出来てきたことが多かったので、今回も多分自分はそういう生活を求められれば慣れることが出来るのだろうな、という予想が既についていて、しかしそのこと自体がやはり信じられなかったのです。
そして蓋を開けてみるとやはりすぐに慣れました。あれだけ時間にルーズで色んな人に怒られっぱなしの自分が、なぜか会社ではいつも時間通りに行動が出来るようになり、研修中何人もの遅刻者が続出するなか、遂に最後まで時間に遅れることはありませんでした。
しかも加えて、2カ月間の研修は月残業60時間のペースでスケジュールが組まれており、世間基準で考えると明らかに健康を害するレベルの労働時間にも関わらず、その生活にもすっかり慣れてしまいました。この生活ペース以外の社会人生活を知らないので、このペースが標準の社会人生活だと思っている節がある訳です。
これら2つの、振り子生活、長時間労働をとってしても、すぐに慣れてしまったことに恐れずにはいられません。
研修で見えた同期の面白さ
就職する前は会社の人との交流は必要最低限にしようと思っていて、それは今もそこまで変わらないのですが、思ったよりも会社の人も面白い人がいるというのは意外でした。
同期をとってしてみても、リア充な典型的大学生ばっかだろうと思っていたところが、全然そうではありませんでした。もちろんそういう人たちも一定数居るのですが、一方で凄く学者肌な人たちや、世の中を良くすることに真剣な人たち、色んな意味で非常に「個性的」な人たち、などなど。秋入社だったので海外大出身者が多く、彼らは自分の興味関心が非常に強い場合が多いためこの様な面白い面子になったのだと思います。
研修が終わった今でも、彼らからたまに一緒にランチしよう、ディナーしよう、ボーリングしよう、山登りしようとお誘いを受けることがありますが、普通に行くようになりました。
春入社だとこうも面白い面子が揃わなかったであろうと、聞くところによると想像がつくので、秋入社にしてよかったと思える意外な出来事でした。
大人の事情を痛感する「配属」
一般的な会社と同様に、研修の最後に配属発表があります。最初の配属は今後のキャリアを左右する重大なステップであるため、同期はみな研修の当初から配属を気にしていました。どのようにして配属が決まるのか、「あの人の前ではいい顔をしておいた方がいい」「あの研修内容で〜な行動をとるとあそこに配属になる」「一見関係するように見えて実はこれは配属と全く関係がない」などなど、本当かわからない噂が飛び交います。そして待ちに待った配属発表では、僕は幸い希望が叶ったものの、おそらく半数近くの人が望まない配属となりました。どういう人が希望通りになり、どういう人が希望通りにならなかったか、分析してみると配属決定のポイントが見えてきます。それは、もちろん能力・適性の観点もあるものの、それ以上に属人的な判断がそこには確かに存在するということです。詳しくは当然書けないですが、新人全員が社内政治をうまくやる大切さについて考える契機となりました。
卒業旅行ヨーロッパ2週間の旅 ベルリン編その2
2日目の朝を迎える。1日目は移動だけだったので、この日がベルリン観光最初の日となる。
とりあえず、地球の歩き方に載ってる、宿から徒歩圏内のパリ風朝食のお店へ。
何がパリ風だったのか未だに分からないが、このたびを通してヨーロッパの朝食は様々な種類のサラミやハム、チーズとともにパンを食べるのが一般的なようだった。
当然美味しく頂き、地下鉄でまずは「あの」観光名所に向かう。
その前に、これは朝食を食べた店のトイレなのだが、見て分かる通り便器が異常に高い。
この旅を通して、どこの国の小便器もこのタイプで、飛び散らないという点で合理的であるとは思うがいかんせん身長の低いアジア人には厳しい。
168cmの僕でギリギリという感じで、僕より10cm以上背の低い友人は終始背伸びをしないと用を足せない始末でした…
※その友人談「屈辱だ」
朝のベルリン。平日だったので通勤時間帯でしたが、スーツの人は1人もいない。
みんなカジュアルな装いで自転車を使っているのが印象的でした。
日本もこうなれば良いのに…と思いつつ。
地下鉄の券売機で切符を買っていると、英語で若い男の人に話しかけられる。どうやら切符を安く売ってあげる、と言っているらしい。
地球の歩き方には、公共交通機関で話しかけて来る人は殆どが乞食や詐欺なので無視するように、と書いてあったが流石に人を無視することに心が引けた僕は適当にいなしつつ電車に乗り込んだ。
着いたのはその名も「ブランデンブルク門駅」。
ウンター デン リンデンのフォントがカッコいい。
ブランデンブルク門は威風堂々とした佇まい、美しくも力強さを感じさせるものでした。
特にこの日は快晴で、大変素晴らしい光景を目の当たりにすることが出来ました。
ブランデンブルク門の歴史を少し振り返ってみると、元々は、啓蒙専制君主として名高いフリードリヒ大王の父であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の命によって作られた関税門だった。この関税門は他の主要街道にも複数作られたが、ブランデンブルク辺境伯の都であるブランデンブルクに向かう街道に作られたためこの名前になっている。
またナポレオン戦争の際にナポレオンが凱旋したことでも有名である。
柱は荘重なドーリア式、門の上にはローマの勝利の女神 ヴィクトリアがいる。
これは今回のドイツ旅行で度々思ったことだが、ドイツではいたるところでローマ帝国への憧れや自負が強いことを感じさせられる。
確かにドイツは、オドアケルによって西ローマ帝国が滅ぼされた後、いわゆる「戴冠」によってローマ教皇から正式にローマ皇帝と認められたカール1世のフランク王国から系譜が続いている。あの栄光あるローマの正統な後継者として自負があるのだろう。ヒトラーの敬礼1つとってもよく分かる。
ウンター デン リンデンを少し歩くとフンボルト大学が見えてくる。
ここはナポレオン支配下のとき、フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」の講演を行ったことで有名な場所だ。
フンボルト大学から少し歩くと、ドイツ博物館が見えてくる。ドイツ博物館では、ドイツの歴史を膨大な展示から、古代から現代まで時系列で追うことが出来る。
ここではその一部だけ…
言わずもがなのナポレオン帽。しかし説明を見てみると、ナポレオンがワーテルローの戦いで当時着用していたものとあるから驚く。こんなもの残ってるのか…。
ワーテルローの戦いは、実に壮大な戦いだ。なんといっても、ロシアの冬将軍に負けて地中海の小さなエルバ島に流されたにも関わらず、フランスに這い戻ってきたナポレオンをイギリスのウェリントンが辛くも撃退した戦いだからだ。ワーテルローの戦いは面白いので、興味がある人は1970年に制作された制作された映画Waterlooを見て欲しい。
最後はベルリンの壁崩壊で展示が終わる。
なかなか見ごたえがあり、かつドイツの壮大な歴史を前に一種の感動を覚え、博物館の人に感想を言いかけたほどでした。
昼食で屋台で買ったカレーブレヒト。簡単に言えばカレー味のソーセージである。
ドイツではファストフードとして一般的なわけだが、これが美味い。ドイツでお腹が空いたとき、とりあえずカレーブレヒトを食べておけば間違いはない。
ベルリンでも商業施設の立ち並ぶアレクサンダー広場には、東ドイツの象徴として名高いテレビ塔と世界時計がある。
そういえば旧共産圏の国にはテレビ塔が多い気がする。ハノイにもプラハにもある。共産圏の国々は国の威信を分かりやすい建造物の形で表すのが好きだ。当時、最先端のメディアだったテレビを支えるテレビ塔は、まだ高層建築物が周りに多くなかった状況において、国の威信を表すうってつけの建築物だったのだろう。
そしてこの世界時計。なぜ世界時計が作られたのか、調べても中々出てこない。
僕が思うに世界中の同胞と連帯し、国の壁を乗り越え人民として闘う共産思想にとって、時差の壁は大きな分断要素だったに違いない。その時差を一目瞭然で明らかにすることが出来る世界時計は、その分断の壁を砕こうとする意思を表したものだったのかもしれない。
ドイツ人はデザインに対する意識が高い。野菜売り場1つとってもすごく綺麗に並べられている。
これ、日本でも売って欲しい
つづく
卒業旅行ヨーロッパ2週間の旅 ベルリン編その1
これから何回かに分けて卒業旅行のことについて書きたいと思います。
2月後半から3月にかけて、ドイツ、オーストリア、チェコを周る約2週間の卒業旅行に行ってきました。
まずは最初の都市、ベルリンに着くまで。
飛行機は、成田発・ドバイ経由・フランクフルト行きのエミレーツ航空を利用しました。航空会社に詳しくない方は初耳かもしれませんが、航空会社格付けでも常に上位にランクインする、評判の良い航空会社です。ドバイを本拠地にしています。ドバイを経由するのはこのためです。
機内の様子。
トイレに行こうとしたらトイレの横で倒れている人がいて、何事かと思いましたがよく見るとアッラーにお祈りをしているようでした。
1日5回のお祈りがあるため、フライト時間が10時間近くに及ぶ中東圏への飛行機ではよく見られる光景です。
そうこうしてると、さっそく機内食(夕)の時間に。お決まりのチキン オア フィッシュ(チキンオアビーフの方が有名かもしれないが、ビーフは宗教上の理由で食べられない人がいるので、スタンダードメニューからは外されつつある)にフィッシュとだけ答え、顔の掘りの濃いCAさんに渡される。
エミレーツの機内食は美味しい方だと思います。早めに食すると、歯ブラシと洗面用具を片手に素早くトイレに駆け込む。
そのあとは眠りにつきました。
朝食は洋食にしました。見た目通りの味がします。
そんなこんなであっという間にドバイ国際空港に。ここは以前にも来たことがありますが、相変わらず華美。写真のような、絵に描いたようなアラブの光景がいたるところで見られます。
こち亀で有名になった、高級車が当たる宝くじも健在。
マックとスタバはどこにでもある。乗り継ぎ時間を持て余し、カフェイン中毒の僕は1人スタバに直行。
すると中国人のおばさん4人組に華麗に順番を抜かされる。向こうはなんとも思っていない様子で、「中国人みんながそんな訳では…」「ぼくの自己主張が弱かったから…」などと闘っていると順番が来た。
海外のファストフード店では、注文時に自分の下の名前を店員に伝え、商品が出来るとその名前で呼ばれるのが一般的。オープンな海外らしい。
僕も下の名前を伝え待っていると…
いつのまにかジェダイ・マスターになっていた(もちろん本名ではない)。
いや、スターウォーズ好きだから良いけどさ……
シェイクシャックにも寄ったが、これが価格が高くてビックリした。
写真の、なんとでもないようなバーガーとチーズと水が、あとでクレジットカードの請求を見ると2100円もチャージされていた。恐るべし海外の物価…。500円でランチが出来る日本は素晴らしい。
フランクフルト行きに乗るとまた機内食が出される。
いや、もう散々食べたんだけど😅
あっという間にフランクフルトに着きました。
以前ニューヨークに行った時は友人がロストバゲッジしてましたが今回は無事全員荷物を回収。
ここからベルリンまで列車で向かいます。ドイツの主要都市を結ぶICEです。
インフォメーションのオバちゃんに聞きながら何とかホームに辿り着く。
今回はユーレイル・パスという、いわゆるヨーロッパの列車乗り放題切符を事前に入手していました。ホームでValidationをして乗り込みます。
日本では見かけないサイズのカマンベールチーズが入ったバーガーを片手に、ドイツの地を眺めながらベルリンに向かう。
写真には風力発電所が写っていますが、後にも触れることになると思いますがドイツはエコへの姿勢が強いことを感じさせられました。
3時間ほどの列車旅で遂にベルリン到着。時はすでに夜でした。日本を出てからおよそ24時間。
駅前でタクシーを拾い宿へ。観光は翌日以降にすることにし、とりあえずは何もせず休むことにしました。
つづく